2010/01/31

青き煌めき

ウズベキスタンの首都タシケントに着き、見所的な場所を訪れたり、簡単にできない両替に時間を費やしたりして数日過ごした末、タシケントという都市に満足できずに、次なる町、サマルカンドへ向かった。問題の体調はというと、悪くない。食欲もあるし元気だ。しかし、依然として寝ている時に汗をかくことと、手のひらに少し熱っぽさを感じることが、体調が万全でないことを表していた。

サマルカンドに着き、中央アジアで最も居心地の良くて安いという長期旅行者の間で有名な宿にチェックインし、そこで、体温計をかりて熱をはかった。すると37.4分ある。依然として熱は下がっていなかったようだ。このような体温であるにもかかわらず、あちこち出歩いたり、移動をしてきた自分の鈍った感覚に失望した。それから5日間、いくつかの風邪薬を飲んで様子をみたが、熱はいっこうに下がらない。この時点で自分は風邪以外の何か悪い病気にでもかかっているのではないかと不安になった。

何日も熱が下がらないため、心配した宿の人たちが医者を呼ぼうという。薬を飲んだり、野菜やビタミン豊富な果物を摂ったりといろいろ手を尽くしてもダメだった。だから、戸惑いはしたが、宿に医者を呼んでもらうことにした。宿の人の通訳のもと、今まで処方していた薬と、熱が3週間くらい下がらないこと、熱がある以外は全く元気だということを度の強い眼鏡を掛けた老医者へ伝えた。すると、こんな薬じゃダメダメと言われた。

老医者に促され熱をはかると37.2分を指していた。老医者は、「あれっ、たいして熱ないじゃない」といった表情をして、持ってきた注射器をしまい、3種類の薬を出した。そして会計の段、宿の人たちは、医者を呼んでも診察代は安いよと言っていたが、今回の訪問診察代、薬代、体温計代(なぜか売ってくれた)、これら全て合わせても1000円弱だった。これじゃあ海外旅行保険を請求するまでもない。

老医者にもらった薬を飲み、2~3日安静にしていると、熱は下がっていった。あれほど市販の薬を飲んでも熱は下がらなかったのに、不思議にもあの老医者にもらった薬は効いた。3週間以上にもわたる長く辛い熱との付き合いがようやく終わり、日本に帰国せずにすんだ。

それから、ようやくサマルカンド観光を始めた。

何故、中央アジアなんかに来たのか?その答えは、ここウズベキスタンのイスラーム建築群を観るため、といっても過言ではない。カザフスタン、キルギスは付録に過ぎない。私は、ある博覧会で、ウズベキスタンのイスラーム建築に魅了されて、ここに来たのだ。

サマルカンドは私の期待を裏切らなかった。何百年も前のモスクや廟、イスラーム神学校の建築物に描かれた、植物や星、幾何学模様の装飾は、どれだけ観ていても飽きがこない。とりわけ、青のタイルで貼り詰められた青きドームは美しかった。それらの建築物が街の景観と融合し、何百年も前の街並みを想像させた。

インドのタージマハルも美しかったが、サマルカンドのイスラーム建築の方が美しく思えた。多くの観光客に踏み荒らされていないことが、その美をより直線的に感じ取らせたのかもしれない。これまで多くの土地を通ってきたわけだが、ここサマルカンドは、そのなかで5本の指に入る。それは、観るものだけでなく、人も良かったということもあるだろう。

今回の風邪だか何だか分からない病は、本当に、本当に、辛かった。


でも、もういい。


この美しい建築を見れただけで、あの苦しみに耐える価値はあったと、青いドームを見ながらそう思えた。

その後、ブハラという町を訪れ、タシケントに戻り、次なる旅の準備についた。





ウズベキスタンのプロサッカー。レベルいまいち。


モスクをバックにサッカーする少年たち。こっちの方が面白い。


ウズベキスタンを象徴する、サマルカンド、レギスタン広場。


ブハラ、夕暮れの街並み


走れ、ウズベキエキスプレス!

2010/01/22

回避

約2週間、風邪のような症状のわけの分からぬ病と格闘した末、体調が幾分良くなったところで、キルギスのビシュケクよりウズベキスタンの首都タシケントへ向かうことにした。出発前日にバスターミナルで出発時刻を確認すると、バスは毎日出ているが20:50発の一便しかないらしい。万全でない体で夜をバスで明かすことは心配だったが、これ以上キルギスでもたもたしてられない。それにウズベキスタンはカザフスタンやキルギスより南部に位置しているため、それ程寒くないようだ。とにかく、ウズベキスタンに行こう。そう思いバスのチケットを購入した。

出発当日、バスに乗り込む。なかなか悪くないバスのようだ。リクライニングも利く。ただ、暖房を入れているのかわからないくらい車内は寒い。こんな事もあろうかと、防寒着を総動員し着込んできた。それでも、少し寒さは感じたが。

今回のバスの移動は、バス内で夜を明かすこと以外に、もう一つの試練が待ち受けている。それは、おそらく今まで経験したことがない、、一度の移動で2つの国境を越えるということである。つまり、キルギス→カザフスタン間の国境、カザフスタン→ウズベキスタン間の国境と越えていかなくてはならない。それもヨーロッパのように簡単に国境を越えられるわけではない。入国時の滞在登録の申請から、税関申告書の作成、荷物のチェックも受けなければならないのである。キルギスとウズベキスタンは国境を面している。キルギスから直接ウズベキスタンに出入国できればと思うのだが、こればかりはしょうがない。道がそう通っているのだから。

バスが発車し、うとうとし始めた頃、まわりの乗客の足音で目が覚めた。どうやらカザフスタンに入る国境に着いたらしい。時計を見ると23:30を指している。バスの外に出るとおそろしい寒さが襲ってきた。その寒さのなか、入出国の手続きを終え、再度バスに乗り込んだ。そして、ふとこんなことを思った。自分の体は今、小さくなりつつあるが、病という爆弾をかかえている。この病がいつ再発するともかぎらない。今回の移動で最も重要なことは、この病を再発させないことだ。そう自分に言い聞かせ、いくらか寒い窓側の席から、通路側の席に移り、眠りについた。

翌日10:00頃、ウズベキスタンに入る国境に到着した。バスはウズベキスタンに入ることができないらしく、これから先は、別の交通手段でタシケントに向かわなければならない。カザフスタンの出国検査では、税関職員にバックのなかを調べられた。バック内の旅具を取り出し、なんじゃこれ、と言った感じで聞いてくる。簡単な英語で答え、納得する。が、荷物検査というより、税関職員の興味本位であれこれ取り出そうとする。そこで、”あーもう荷物グチャグチャにするなよー!”ってジェスチャーをすると、それ以上調べるのは止めた。(変なものは入ってないので強気)
次は、ウズベキスタンの入国手続き。ウズベキスタンは外国人の不法滞在が問題となっているらしく、入出国審査が厳しいらしい。私も現在の所持金(T/C含む)など正確に申告したが、その額が多いせいか、別室に連れていかれ、T/Cを一枚一枚数えられた。時間はかかったものの無事ウズベキスタン入国をはたした。

さて、この先タシケントまで何でどう行ったらいいか分からない。国境を越え少し歩くと50メートル程先に税関で言葉を交わした人が立っている。その人の所まで行くと、これからタシケントまで一緒に行こうと言ってきた。願ってもない誘いである。話によると、ここからタシケントまではタクシーで行くしかないとのことで、その人とタクシー代をシェアしてタシケントに向かうことになった。もっとも、その人とは、生まれて初めて会うアフガニスタン人だった。アフガニスタン人といっても、日本人にちかい顔立ちをしている。アフガニスタン人もこのような顔立ちの人がいるのかと疑問に思った。アフガニスタンはウズベキスタンの南に位置する。だから、ウズベキスタンでアフガニスタン人に会っても驚くことではないようだ。

昼の12:00頃、無事目的の宿に着き、15時間のバス移動を終えた。どうやら爆発は免れたらしい。



カザフスタン→ウズベキスタン間国境の両替人

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2010/01/19

途中棄権の可能性

遅くなってしまいましたが、明けましておめでとうございます。

本来であれば新年早々、ブログを更新する予定でしたが、ある理由により出来ませんでした。その理由については、これから書くとおりです。

カザフスタンのアルマトイから乗り合いのワゴン車でキルギスの首都ビシュケクへ。窓の外には、これまでにない景色が広がっていた。背後に山をたたえた草原や緩やかな丘が、道に沿うように長く続いている。そこに、山羊や牛の群れがいた。いや、よく見ると馬に乗った猛々しい人間がその群れを統制しているようだ。私はどうやら遊牧民とやらを初めて目にしたらしい。それは、この旅で初めて、シルクロードを通ってるのだな、と実感させるものだった。

ビシュケクのバスターミナルに着き、市内バスで目的の宿に向かった。あらかじめバスの運転手に、ここに着いたら教えてください、とロシア語で伝えておいた。しかし、1時間くらいたっても運転手は何も言ってこない。おかしいと思い運転手に再度たずねると、ごめん、ごめん。降りる乗客との金の勘定を何度かやってたら、伝える事忘れちゃったよ、とジェスチャーで伝えてきた。市内をグルグルまわるはめになり、ここだよ、と言われてバスを降りたときには、乗ってから2時間くらいたっていた。しかも、降ろされたところが全く見当違いのところで、結局そこからタクシーで宿に向かうことになった。

これくらいのアクシデントならこれまで何度となくあった。でも、私はどうやらカザフスタンで軽い風邪をひいていたようで、この市内バスに2時間ゆられたことが相当こたえた。宿について横になると、強い寒気を感じた。悪いことは続き、この夜停電が起き、スチーム暖房が使えなくなった。私は寒さに震えることになり、この日を境に急速に体調が悪化した。

年越しもくそもなかった。日本から持ってきた薬、キルギスで買った薬、どの風邪薬を飲んでも殆ど効果が表れない。何日もベットの上で苦しんだあげく、宿の主人に病院へ連れていってもらった。そこで、問診を受け、さらにエックス線のようなもので調べられ、最終的に点滴を受けることになった。点滴なんてやったのは生まれて初めてだった。

点滴を受け、少しは元気になったが、依然として風邪の症状は治らない。宿の近くの商店に食料の買出しに行きながら、このいかにも旧ソ連的な閉塞感あふれる町を抜け出さなければ、いつまでたっても体調は良くならない、そう思った。

ある日、体調が少し良いので、胃にやさしいものを食べようと、ビシュケクにあるという日本料理店に行った。店内はテーブルも内装も日本の店そのものだった。清潔で新しく、整っている。何よりその料理が、つまり私の食べたそばが美味しかった。値段もリーズナブルで、これまで食べた外国の日本料理でナンバーワンだった。食べ終わった後に、店内に置かれた日本の本を読んでいると、日本のある曲のオーケストラバージョンがスピーカーから流れてきた。その時、不意に涙がでた。

これまでにも何度か危機はあった。病院に行ったこともあったし、病院に行かずとも恐ろしい痛みに苦しむことがあった。でも、その時私が思ったことといえば、こんなことで日本に帰りたくない。帰ってたまるか。という、病気、痛みに強く対抗する気持ちだった。

しかし、今回は違った。日本料理店で涙したときに、こう思った。いや、こう思ってしまった。日本に帰りたい。日本に帰って静養すれば、体は良くなる。私はそう弱気になり、店員に気づかれないよう窓の外を向きながら、日本を、故郷を想い、一人涙した。




美味しかった日本そば。




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カザフ美人を見たいという反響に応えて、アルマトイの大学内で撮った写真を公開。(ちょっと遠いですが)
この後、ちゃっかり大学内の食堂で昼食を食べちゃいました。