2010/04/29

Terminal

コ・コ・ハ・ド・コ?




朝起き、一瞬どこかわからなかった。

旅の推進力を失いかけた私だったが、焼肉屋での浜さんの一言が、私の背中を押してくれた。それは、こんな会話のやり取りだった。

M:好奇心も感動もほとんど無くなって、もう旅を終えようかどうか迷ってるんです。でも、日本に帰ったらまた無いものねだりするんですよね、きっと。

浜さん:それやったら、嫌になるくらい旅したらええんちゃう。もう、しばらく、旅したくないーってくらい、徹底的に。

そうだ。
後悔のない人生をおくりたい、だから仕事を辞めて、こうして旅に出てきたんじゃないか。だったら後悔のない旅をして、旅を終えよう。行きたい国があるなら、通りたい道があるなら。物理的にも精神的にも自分の最終目的地に辿り着けるかどうかわからない。

でも、一歩踏み出し、進む。

それが大事だ。

そう考えた私は、エジプトのアレキサンドリアという名前だけで惚れ込んでしまいそうな町から、ギリシャのアテネへ飛んだ。アテネ空港到着時間は夜中の3時。夜も遅いので、空港内のベンチで夜を明かし、交通機関が動き出す早朝に空港から市内へ移動する予定だった。が、機内で飲んだ赤ワインが良い寝酒となり、朝の9時まで空港内のターンテーブルのすぐわきのベンチでぐっすり寝入ってしまった。それで、一瞬自分の居場所がわからなかったのである。

それにしてもアテネの空港、なかなか居心地良かった。もし、起こされてベンチから退くようなこと言われたら、こうやって抵抗してやったのに。

グラコージア! グラコージア! (詳しくは映画The Terminalを観てね)

そんな叫ぶようなことが起きるわけもなく、キャサリン・セダ=ジョーンズが現れるわけもなく。あっさりと正真正銘のヨーロッパに入国。アテネは10年ぶり。空港を一歩出ると、懐かしさが込み上げてきた。

10年前はまず、通貨が“ユーロ”じゃなかったんだよね。“ドラクマ”っていうギリシャ通貨だった。面白い名前だったよね。“ドラクエ”みたいで。

市内に着き、目的のユースホステルにチェックインし、街を歩いた。

ん~変わったな。
”街が”じゃなくて”人”が。こんなにいろんな人種を見なかった。移民が確実に増えている気がする。大枠でアフリカ人、中国人、パキスタン・バングラ人。面白いのは、街頭でする商売がその移民によって違うのである。アフリカ人は偽ブランド品バックをビニールシートの上にのせて売る、中国人は板の台をベルト状の紐で固定し首からさげ、文房具や日用品を売る、パキ・バングラ人は投げて何かにぶつかると弾けるゼリー状のボールを売る、といった具合に。

そしてアテネ、なにやら私の泊まるユースホステル周辺は、アテネでも特に治安が悪いらしい。同宿のシンガポール人2人組みが2日続けて強盗にあったと言ってきた。しかも、宿近くのマクドナルドと地元のレストランのなかで。。。しかも、周りに居た人が全く助けてもくれなかったらしい。

そういえばそうかもしれない。道を聞いても、尋ねごとをしても、何となくシラーっとしてるもんね、この国の人。これがイスラム国だったら違うだろうね。周りの人が割って入ってきてくれるだろうし。イスラムの人ならほっとかないよね、そういうの目の前で起こってたら。

かくして、中近東よりもはるかに危険なヨーロッパの旅が幕をあけた。


機内で飲んだ赤ワイン


ゼリー状のボールを売るパキスタンorバングラ人
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