2010/02/18

通じ合うもの

あと数日でトルコともお別れの予定。
そこで、イスタンブールを出てからここまでの思い出を簡単に。

・PAMUKKALE
ローマ遺跡と石灰棚を堪能。
ラオスの薬草サウナ以来のノーマルサウナに入り大感動。

・GOREME (KAPADOKYA)
岩、岩、岩、と見渡す限りの奇岩。
そして奇人は、岩を刳り貫いて作った洞窟部屋に泊まる。

・MERSIN (port town)
外国人が珍しく、好奇心が旺盛なのか、バングラディシュ以来の人気者扱い。数歩歩けば道行く人から声が掛かり、話し、写真撮影と手厚い歓迎を受ける。一般人はいいが、困るのが、いわゆるバットボーイ。ボディータッチがいちいち痛い。
港の公園には、トルコと日本の友好関係のきっかけとなった、エルトゥールル号遭難事件の慰霊碑がある(遭難現場の和歌山県串本にも同じものがあるよう)。また、両国の友好を記念して名付けられた、数キロ先にある“串本通り”にも足を運ぶ。

・GIRNE (port town) [Cyprus] 
MERSINから15時間の航海で北キプロスに到着。夜行便のため、景色は堪能できなかったが、キプロスに着くとエメラルドグリーンの海が広がっていた。北キプロス(つまりトルコ領)からの入国実績があると、以後、ギリシャへ入国できなくなるが、これは裏技で回避。

・LEFKOSA (capital) [Cyprus] 
キプロスを北と南に分断する緩衝地帯、グリーンラインまで行く(そこまでしか行けない)。北キプロス側の公園から南キプロスを眺め、分断された島の過去と未来に思いを馳せる。

・back to MERSIN (port town)
キプロスからトルコに戻る。安宿生活にもちょっと疲れたので、2つ星ホテルに宿泊。宿代はこの旅最高値を更新の2000円。懐にはちょっと痛いが、動きたくなくなるほど快適で、現在連泊中。ダブルベットなので大の字になって寝るも、起きて気づくと小さく体を丸めている自分。

トルコに来る前のイメージといったら、街も人もゴチャゴチャしている若干不気味な国、ってなものだったけど、全くの誤り。街は整っているし、すごくいい人が多い。そして、その人の優しさには感服するばかり。また、どこか日本と通じるものがある気がする。日本語に似た言葉があるところも然り。

例えば、
日本語の“いい(良い)”は、トルコ語でも“イイ”。
“すごくいい” は、“チョクイイ”。と、チョーイイに似てる。

あと、人の名前。
MURAT(ムラタ?)、OBA(オバちゃん?)、OKAN(オカン?)っていう名前が多くて、思わず笑ってしまう。

インドを脱獄して2ヶ月が経つようだが、それしか経ってないことが信じられない。もう、半年以上経っている気がするなー。
毎日、毎日、充実。


南極じゃなく、石灰棚ね。


奇岩天国。


オスマン海軍の遭難慰霊碑。


GIRNE港のヨットハーバー。


分断ライン傍に暮らす子供達。


船上のトルコ兵、何を想う。

2010/02/07

旅とAPPLE TEAと私

ある朝、無料の朝食をとるために宿の食堂へと向った。セルフサービスである飲み物を取りに行き、何種類かあるホットドリンクの中からトルコ名物のアップルティーを選ぶ。それを注いでいる数秒の間にどっちにしようかなと思った。

カップギリギリまでなみなみと注ごうか、いいあんばいのところで止めようか。「欲張っちゃいかんな」そう思って、いいあんばいのところでアップルティーを注ぎ終え、カップを持って席についた。

ん??
さっきの感覚、何かに似てるな。

ユーラシア大陸を1年かけて旅する、そう決めてはじめた旅だった。だが、旅の途中で出会った多くの旅人達から少なからず影響を受けると、こう考えるようになった。アフリカも、南米も行っちゃおうか。アフリカや南米では、黄熱の予防接種証明がないと入国を拒否される国もあるらしい。それを知りると、バンコクの赤十字で黄熱の予防接種をして、証明書を手に入れた。これで世界を周れる。2年でも3年でも旅しよう。あの時はそう考えていた。

だが、旅に出て8ヶ月、インドを出国する頃にこう感じるようになっていた。
だいぶ感動や驚きが薄れてきているな。

旅に出る前に幕張のアウトレットショップで買った相棒NEW BALANCE 782の靴底も、もうだいぶ磨耗してきている。それは私の気力、体力、好奇心の消耗と比例しているようだった。 このまま2年も3年も旅を続けても、輝く星も、ただの星としか見れないだろう。だから、欲張ることなく、予定通りユーラシア大陸で旅を終えよう。そう思い直した。

日本を出るとき空っぽだった私のカップは、今、温かく甘いアップルティーで満たされつつある。もし、このまま注ぎ続ければ、おいしいアップルティーがカップから零れ落ちてしまう。それはもったいないし、火傷する恐れもある。日本に戻って、カップが空になったら、またアップルティーを注げばいいのだ。それはずっと先でもいい。アップルティーを味わう楽しみをとっておくのだ。


P.S 
ここまで書いたことと矛盾するようですが、旅はまだ続きます。
しかも、全く計画していなかった方向へと。
乞うご期待ください。




初めて買ったCDは「部屋とYシャツと私」。キャラ違いで恥ずかしい。

2010/02/03

2つの愛の物語

ウズベキスタンの首都タシケントに戻り、トルコへ飛び立った。本来であれば、ウズベキスタンからトルクメニスタンに行き、カスピ海を船で渡ってアゼルバイジャンと進んで行きたかった。けれども、キルギスで何日も寝込んでしまったため、インドのデリーで取っておいたウズベキスタンのビザの期限が残り約2週間と短くなってしまった。トルクメニスタンは中央アジアの北朝鮮といわれる独裁国家であり、ビザを取るのにも15日要する。だから、陸路で進んでいくのは諦めた。

トルコ、イスタンブール(ちなみに首都はアンカラ)。ここはヨーロッパからアジア、アジアからヨーロッパに向かう旅行者の交差点であり、また、ユーラシア大陸を西へ進んできた者にとって、この先、ヨーロッパへ向かうか、中近東を経てアフリカに向かうか、という分岐点でもある。いずれにしても、長く旅行を続けてきたつわものが多いという印象を受ける。

イスタンブールはボスポラス海峡を隔てて、アジア側、ヨーロッパ側と分かれている。ひとまず、飛行機で着いたヨーロッパ側からアジア側へ船で渡ってみた。確か「深夜特急」(旅行記)にはフェリー代が安かっと書いてあったと記憶するが、これは今でも安いと言える。なかなかグレードの高い船で約15分の航海、これで100円にすぎない。アジア側に渡ると、釣りする人々や寄り添うカップルを横目に湾沿いを歩いた。そして、そこからヨーロッパ側に建つブルーモスク、アヤソフィア、トプカプ宮殿を眺め、20歳の時に行ったギリシャ、地中海の風景に似たものがあるなと感じた。

ここイスタンブールの宿でジュン君という日本の大学生に出会った。話によると、大学の春休みを利用して、トルコ、エジプトを1ヶ月かけて旅するらしく、また、クウェートに留学中の彼女とイスタンブールで合流するらしい。大学ではもう春休みが始まったということに驚いた。それから、約10歳年が離れたジュン君と仲良くなり、夕食を共にし、先輩風を吹かして、一人旅が初めてという彼についつい多く語ってしまった。

一緒に宿に戻ると、彼は思わぬものを私に与えてくれた。

それは、、、、納豆。

納豆と私の付き合いは長く、深い。語りつくせない数々の歴史がある。そんなあなたと、ここ東洋と西洋の十字路で再会できるとは。ジュン君もクウェートという未知の国に留学している彼女に会いたかっただろう。でも、私も同郷のあなたにずっと会いたかった。。

てなわけで、イスタンブールについて1週間が経ちますが、ここは中央アジアの国に比べてかなり旅行しやすいです。ていうのはまず、カザフスタンやキルギスでは文字化けしたようなロシア語のキリル文字の表示に相当悩まされ、英語もほとんど通じませんでしたが、ここはほぼローマ字で、英語がかなり通じるということ。また、地下鉄、トラム、バス、船と交通機関が発達しているので、ちょっとした移動も時間をかけずに簡単にできるからです。

明日、夜行バスで次の町に移動します。そして、トルコの見所をいくつかまわった後、トルコから船でキプロスへ向かう予定です。カスピ海を船で渡れなかった無念をトルコ~キプロス航路ではらそうと思ってます。


アジアサイドから見たヨーロッパサイド


ジュン君とクウェート留学中の彼女さん


イスタンブールに釣り人多し


イスタンブールに猫多し