2011/08/27

長い日

翌日は同じ閖上地区の別の被災したお宅での作業だった。この家ではボランティア15人で床下の土砂出しを行い、1ヵ月以上かけてやってきた作業がこの日に終わりを迎えた。家のご主人は涙を浮かべながら、我々ボランティアに感謝の意を伝えていた。また、そんなご主人からの言葉を聞き、同じく涙するボランティアの姿もあった。この日一緒にボランティア活動した人のなかにも名取市在住の人がおり、その人の話では、震災後、メディアには一切出なかったが、名取の被災地区では略奪などがいくつも起こったこということを聞いた。

3日目は名取でボランティアする人の間では言わずと知れた、カーネーション畑での作業だった。何故言わずと知れたものなのかというと、まず、名取市はカーネーションの栽培で有名な土地であり、そのカーネーション畑が津波の被害を受けてしまった。そして、そのカーネーション畑に流れ込んだ土砂を除去しなければならないのだが、ビニールハウス内での作業を強いられるため、暑い。6月でもハウス内は35℃に達するのだ。私の作業する前日には熱中症で体調を壊した人がいたほどだった。実際にそこで作業した人の話だと、2日作業すると確実に体重が1キロ落ちるという、そういう過酷ゆえに有名な現場だった。

私が作業した日はそれほど太陽が照りつけることはなかったが、それでもハウス内は風が全くというほど通り抜けないため、とても蒸し暑かった。作業服は汗にまみれ、水や麦茶を何リットルのんだかわからない。ボランティアの数は30~40名。何故この現場にこれほどの人数をかけるのかというと、カーネーションを栽培しているスペースが広く、そのビニールハウスがいくつもあるということと、この時期に土砂を取り出し、カーネーションの栽培を再開しないと、来年の出荷に間に合わないという事情があってのことだった。

作業を終え、いったんボランティアセンターに戻ると、この日は仙台市、多賀城市へ車の走らせた。名取市以外の被害状況もこの目で見てみたかったからだ。名取市も目を覆いたくなる光景をいくつも見たきたが、仙台、多賀城の被害も大きかった。震災後3ヵ月たっても電気が通らない信号機がいくつもあったし、道が大きく隆起し、通行止めになっている道路もあった。とりわけ強い印象を残した場所が仙台港だった。港周辺には港の利を活かすために大企業の工場や倉庫が点在しているが、この工場や倉庫がほとんど全て津波でやられてしまっていた。また、港周辺は海産物の異臭が強く漂っていた。

私は仙台周辺の被害状況を見て改めて復興、再生には膨大な年月を要すると思った。

ボランティアセンターの駐車場に戻り、そこでいつものように車で寝るための仕度をし、体を横にした。今日見てきた光景が網膜に張り付くように残っていたが、肉体労働による疲れか、あっという間に眠りについた。



 

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