2009/12/26

MELTING POT

インドの首都デリー。これから行く国々のビザを取得するため、その手続きに奔走する日々をおくっていた。各国大使館職員の独断的かつ横柄な対応に苦労したが、何とか必要最低限のビザを取得することができた。

インドからパキスタンへ陸路で越えていくのは、治安やビザの問題で諦めざるをえない。そこで、これから向かうは中央アジアの国々と決めていた。そして、ビザの申請と同時進行で、インドのデリーからカザフスタンのアルマトイへ飛ぶAIRチケットを探した。しかし、チケットが見つかるも直航便で片道4万円と少々高い。よく調べるとUAEのドバイを経由してカザフスタンに行くのが安いということが分かった。デリーからオマーン経由でドバイまで約15,000円、ドバイの隣の首長国、シャルジャからアルマトイまで約12,000円という格安チケットが見つかり、喜んでウェブブッキングした。

実はドバイには私の先輩が海外赴任しており、その先輩に会うために事前に連絡したのだが、年末年始の休暇(休養?)のため、私がドバイに着く前日に入れ違うように日本に帰国してしまうと分かり、会うことができなかった。でも、私が会社を辞めるのとほぼ同じタイミングでドバイに赴任した先輩は、それからというもの、かなり忙しい日々をおくっていたようで、貴重な余暇の時間を奪わずにすんで良かったのかな、と思ったりした。

さて、約2ヵ月旅したインドに別れを告げ、初めてのアラビア半島、UAEドバイ首長国に着いた。ここはアラブの先進都市である。到着前から物価の高さを心配していた。しかし、予想してたより意外に安い。タクシーの初乗り運賃が3ディルハム(1ディルハム=約25円)。ドバイから9キロほど離れたシャルジャ首長国までバスで5ディルハム。そこシャルジャのユースホステルであれば、一日50ディルハム(1,250円)ほどで泊まれる。また、トマトが2個で1ディルハム、オレンジが2個で1ディルハムと野菜や果物も安かった。

何より驚いたのはドバイのケバブ。これはその辺のカフェテリアで4~6ディルハムと100円程度で食べられるという値段もさることながら、ちょっとした生野菜まで付いてくる。こんなちょっとしたおまけが嬉しかった。 そして、このケバブがどこの店で食べても最高にうまい。ドバイのケバブってやつは凄いな!なんて思ったが、もしかしたらこれは私の舌がインドを経てきたからこんなにうまく感じるのかな、なんて思った。でも、旨いものは旨かった!!

ドバイは人口の7,8割が外国人で、さらに人種のるつぼであった。おそらくアメリカより多くの人種が行き交っている。そして、シャルジャは出稼ぎ労働者のベットタウン。毎日、多くの出稼ぎ労働者たちとドバイ~シャルジャ間の2階建バスに乗った。隣の席になったインド人の話によると、インド、中国、バングラディッシュ、フィリピン人が4大出稼ぎ労働者なのだという。(先輩、本当でしょうかね?)

私が滞在したユースホステルは、そんな出稼ぎ労働者たちの仮住まいと化していた。中東のサウジアラビア、シリア、スーダン、そんな国籍の人たちと寝泊りをした。ユースのスタッフはフィリピン人、タクシーに乗ればバングラディッシュ人、と犬もあるけば外国人にあたる。いったい生粋のUAE人は何処にいるのだろう。だが、多くの人種が混在している、それがドバイのようだ。

ドバイは運河を隔てて、東にディラドバイ、西にバールドバイと分かれている。ゴールドスークという金、銀、宝石を売る店があつまる地区にも行ったし、デパート内にスキー場があるという超大型デパートにも行った。ドバイは、これまで通ってきた、上海、香港、バンコク、クアラルンプール、シンガポールという都会よりさらに洗練された大都会だった。都会の雰囲気を久しぶりの味わうことができた。

印象に残ったのは前出の運河。貨物船ほど大きくないダウ船(ペルシャ湾からインド洋にかけて広く用いられる帆船)が貨物を満載して、この運河を行き来している。そして、運河沿いには多くの貨物が並び、荷積下ろされていた。そんな光景を見ていると、輸入貨物の荷下ろしのアルバイトをしていた時のことを思い出したりして、どれ、ここで一丁ひと稼ぎするか、なんてできもしない事をを考えたりした。運河は水底まで透きとおり、運河沿いのきれいな景色を見ながらゆっくり歩いた。

海路シルクロード、いまだ健在。


デパートのスキー場

釣りする移民達。水質良好。

車が落ちないか心配なダウ船                      

運河の夕陽 シャルジャの朝陽

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