このユーラシア大陸の旅において、中東という広い地域をドバイしか訪れないのはあまりにももったいない。そう考えるようになり、トルコからヨーロッパではなく、中東に舵を取ることにした。移動経路はこのようなものになった。
《TURKEY》、Antakya(シリアとの国境の町)
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《SYRIA》、Aleppo(石鹸で有名) →Hama(水車の町) →Palmyra(世界遺産) →Krac des Chevaliers(世界遺産) →Apamea(ローマ遺跡) →Tartus(地中海沿いの町)→Arwad island(小島)
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《LEBANON》、Tripoli(お菓子の本場)→Byblos(世界遺産)→Beirut(首都)→Baalbeck(世界遺産)
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Back to 《SYRIA》、Damascus(首都)
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《JORDAN》、Amman(首都)
ここまでの旅で驚いたことといえば、アラブの、いや、イスラームの人々が極めて親切だということである。それは、これまでの親切な人が多かった国と比較しても桁違いなところがある。また、アラブ諸国は男女の交流が禁じられていると思っていたが、ここはチャドルを身にまとった女性でも外国人であるためか、私に話しかけてくれたりする。それが、以外であり、また、嬉しかった。
この3カ国だけの枠でいえば、北部のへ行けばいくほど人がよく、また地中海、つまり西部へ行けばいくほど、開放的になるように感じた。
実際にビックリした体験をここで挙げてみる。
・シリアHamaで女性がいきなりトンガリコーンのようなお菓子をアーンってな具合に食べさせてくれようとしたこと (それはまずいと思い、手にもらってから口に運んだ) 。
・シリアPalmyraで少年にサッカーボールにサインを求められたこと(転がってきたボールを蹴り返しただけなのに)。
・レバノンで物乞いの人が道を案内してくれたこと(お金を恵んでないのに)。
日本における中東情勢の報道はアメリカの影響を強く受けているため、日本人が受ける情報はアメリカよりにならざるを得ないらしい。だから、中東は物騒な場所で、テロリスト国家である、という片寄った認識してしまう。でも、実際こうして足を運んでみると、それが誤った認識であるということがよくわかる。
やっぱり、実際に自分の目で見て、自分の手で触れてみないと、わからない。
だが、そうやって多くの旅人が未知の危険な土地に足を踏み入れていってしまうのだろう。
2004年にイラクで人質となった末、殺害された香田証生さんは、宿の従業員と日本人旅行者の制止を振りきって、ここアンマンからイラクに入っていったらしい。
その気持ち、わからないでもない。
旅人たるもの、まだ見ぬ世界を見たいのだ。
Palmyra遺跡
Baalbeck遺跡
Aleppo市街
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