2010/03/22

ガラスの聖地

中東へ舵を取る。それは中東諸国をこの目で見たいというおもい以外に、もう一つ最大の理由があった。それは、3つの宗教の聖地が一堂に会したところ、つまり、イスラエルのエルサレムを訪れるということである。

旅に出る前、イスラエルへ行けるなど思っていなかった。だが、旅先で集めた情報によると、いくつかの難題はあるものの、どうやら行けるらしいということがわかった。ヨルダンの首都アンマンに着いた私は、数日過ごした末、そこで会った日本人3人と私を含めた4人で、イスラエルを目指した。

イスラエルの入国スタンプがあると、多くのイスラム国に入国を拒否されることは、よく知られた話しだろう。イスラエルも自分の身の上はよく分かっているようで、希望する者には、入国のスタンプをパスポートではなく別紙に押す、という処置をとってくれる。ただし、何故別紙に押す必要があるのか等、意地悪な質問攻撃に遭うのだが・・・

日本人4人のうち女性2人は、すんなりとイスラエル入国をはたしたが、私ともう一人の大学生が3時間ちかく待たされることになった。ただ、その大学生がいてくれたおかげで、熱い“人名しりとり”合戦を繰り広げ、暇はつぶせはしたが。それに、あれくらいの障害があってもいいだろう。私の目指す場所は“聖地”なのだ。

3つの宗教の聖地といわれる場所、

ユダヤ教における、嘆きの壁。
キリスト教における、聖墳墓教会。
イスラム教における、岩のドーム。

いずれの聖地もその名に恥じない重層感があった。その場所に初めて足を踏み入れた時は、いつ以来だろうか、鳥肌が立った。私は、そのいずれの聖地もゆっくり時間をかけて、心いくままに見続けた。

ここイスラエルで、今まで感じることがなかったことがもう一つあった。それは、東洋人に対する差別的な目である。3つの聖地が会する旧市街内、パレスチナ自治区のベツレヘム、そこを歩くと、冷たい目、歪んだ笑み、汚い言葉を投げかけることがよくあった。それにいちいち反応している旅行者もいたが、私は特に怒りをあらわにすることはなかった。人間的に成長したからであろうか、それとも、長い旅路の果てに感覚が鈍ったからであろうか。

私がエルサレムに滞在した時期に幾つかの事件が起きた。イスラエルが東エルサレムでのユダヤ人入植地拡張を発表したことを端に発し、パレスチナ人数百人が警官隊と衝突し、約90人の負傷者が出た。また、イスラエル南部のキブツ(社会主義的な共同農場)にパレスチナ自治区ガザ地区からロケット弾1発が撃ち込まれ、タイ人農業労働者1人が死亡。ガザからのロケット弾攻撃で死者が出たのは、2008年末~09年初めにかけイスラエル軍が実施した大規模なガザ攻撃以来だったらしい。

私は、イスラム教徒にとって一週間で最も重要な金曜日の礼拝の時に、イスラエル警官隊が岩のドームへの入場を制限し、警官隊とイスラム教徒が衝突し、もみ合いになるというのを目の当たりにした。

何故に争う。名こそ違えど、そもそも一つの神ではないか。
そう思うものの、いち旅行者が到底理解できないマグマのようなドロドロしたものが、この聖地を覆っているのだろう。

この聖地にきてわかったことがあるとすれば、わからない、ということだった。




嘆きの壁


聖墳墓教会


岩のドーム


死海

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