2010/04/12

Day swimming, Night climbing

ダハブでの滞在は、日本人や多くの外国人ツーリストが集まる宿を避け、その近くにひっそりと建つ宿のシングルルームにした。中東ではドミトリー(相部屋)生活が長かったため、一人でゆっくりするプライベートな時間がほしかったからだ。

一人で過ごしてもダハブでの日々は楽しかった。穏やかな空気が流れる海沿いの道を散歩するもよし、その海沿いのお洒落なレストランで300円弱のボリュームも内容も充実した食事をとるもよし、海を泳いで今まで目にしたことがない多様な魚を見るもよし、といった具合に。

ある日、いつものように海へ泳ぎにいくと、小学生ぐらいの少年と仲良くなった。少年は Do you like fish? と私に尋ねると、私を海底に誘い、珍しい魚を指差して示し、海面にあがるとその魚の名前を教えてくれる。次に少年は貝を獲り、私へ手渡して見せてくれ、 Present といって文字通りプレゼントしてくれた。そして、 This is eat. つまり、この貝食えるよ、と教えてくれた。海で泳ぐ人たちは外国人観光客が多く、てっきり欧米人旅行者の子供かと思っていたが、どうやら、地元DAHABに住むの少年だったらしい。それを聞いた瞬間、DAHABっ子かー羨ましいなーと思った。

その後も少年と一緒に海底に潜ったり、水中で追いかけっこをしたりして、ふと気づくと自分がおそろしいほど童心にかえっていて、笑ってしまった。また、少年が付けているシュノーケリングの空気口から、時折水が上に向かって吐き出される光景が、なんとも可愛らしく微笑ましかった。

またある日、標高2285mのシナイ山(Gabal Muusa)に登りにいった。シナイ山はモーセが十戒を授かった地として有名で、山から眺める御来光を目当てに深夜2時頃から山に登り始める。暗闇になか石がゴロゴロした山道を歩くのだが、登山者のなかには、石で足を捻ったのか、捻挫してしまった人もいたようだ。異国、遠方からの巡礼者たちと一緒に、途中何度も休憩しながら月明かりと懐中電灯を頼りに進んでいく。しだいに標高が高くなり、寒さが増していく。息を切らし、ようやく頂上にたどり着き、寒さに耐えながら朝日が昇るのを待つ。

朝日が昇るまでの間、このところずっと思っていたことを思いなおしていた。


老いた。


なにも、登山で息を切らしたからでも、今年30を迎えるからでもない。

旅にも間違いなく“老い”がある。それは、過去の思い出が多ければ多いほど、深ければ深いほど、老化は進む。私は今、“旅の年齢”でいえば、老人にあたるだろう。私の感受性は極めて低くなり、それが旅する気力の低下を招いている。

ある大学生に、最近私が無感動になってしまったことを告げると、こんなことを言われた。「私からしたら長く旅ができて、この先もいろんな国に行けるなんて羨ましくてしょうがない。興味が無くなったなんて言わないで旅してください。」

また、ある韓国人カップルにどれくらい旅をしているのかと問われ、もうすぐ一年が経つと答えると、こう言われた。「一年も旅してるなんて、羨ましい。私達働いてるから、休みはどんなに長くても2週間しかとれない。だから、長い期間旅行しているあなたがうらやましい。」

そうなのだ。学生や社会人として真っ当に生きてる人からすれば、私がやっていることはこの上なく贅沢なことなのだ。しかし今、その贅沢が贅沢と思えなくなってしまっている。今この瞬間にも、日々の仕事や勉強に追われ、いつか旅する日のためにがんばっている人たちがいる。この状態で旅を続けてもそういった人たちに、何より名所、旧跡に対して失礼だ。私はもう旅を終えた方がいいのかもしれない。

朝日が昇った。朝日を見るのはいつ以来だろうか。ネパールで見たヒマラヤに上る朝日を思い出す。私は、いつどこで旅を終えるか宙ぶらりんのまま、3750段のキツイ階段道を降り、シナイ山を後にした。




 
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