2011/06/17

動機

東北に入る前に、我が市の社会福祉協議会に足を運んだ。理由は災害ボランティア保険に入るためである。保険料は自分で負担するものだと思っていたが、実際申し込むと県が全額保険料を負担してくれるようでお金がかからなかった。

なぜ災害ボランティアをするのか。それには私なりの動機がある。

私はそれまでボランティア活動に対して肯定的に捉えることができないでいた。ボランティアと名が付く活動は全て、無条件で良いことをしているのだと世間も当人も考えるような、そんな風潮が嫌だったからだ。それゆえ、ボランティアは『偽善者の自己満足』と自分のなかで歪んだ定義づけをしてしまっていた。

しかし、この考えは旅で大きく覆されることになった。それは一つにマザーハウス、『死を待つ人の家』でのボランティア体験が大きい。旅に出る前、ある知人からインドに行くことがあれば、マザーハウスでボランティアするように、と強く勧められていた。その知人は、実際の体験者であり、いろいろ考えらせられるから貴重な体験になる、とアドバイスをくれていた。

旅の途中、インドのコルカタに入ると、実際に『死を待つ人の家』でボランティアをした。だが、その活動を通して、考えさせられるどころか、思考回路を失い、呆然としてしまった。今までに見たことがない強烈な光景がそこに広がっていたからだ。私は、目の前の与えられた仕事を不器用にこなすのが精一杯だった。

ボランティアから離れると少し考えるものがあった、。マザーハウスでは何ヶ月、何年もボランティアをしている外国人が少なくない。彼らは入所者の介護、排泄、掃除、洗濯という肉体的に辛い仕事もするし、日々生命の終りを看取るという精神的に辛い仕事もする。それを何の報酬もなくである。長期間ボランティアをしているある日本人は、コルカタ滞在中にマラリアや、デング熱にかかり死を彷徨ったこともあったと話していた。

私はそういう彼らの姿を見聞きし、もはやボランティアを『偽善者の自己満足』とは全く思わなくなっていた。そして、自分も彼らのように、社会的に弱い人、困っている人を助けられる存在でありたいと思うようになった。

そのようなマザーハウスでの強烈な体験と、そこで働く人たちから受けた影響が、今回災害ボランティアへと向かわす動機となった。(もう一つ大きな動機があるが、ここでは伏せておく)

久しぶりにバックパックを取り出し、必要な旅具を入れ、また、震災後に調達した非常食も兼ねた乾麺、缶詰を集め、携帯ガスコンロも用意し、それらを車に積め、夜11時に家を出発した。

50分も車で一般道を走らせると、福島県いわき市に入った。そこからまたしばらく走り、薄暗い道路案内の看板から、双葉町、南相馬市という文字が目に飛び込んでくると、あらためて自分の住む町が、世界的にも知れ渡ってしまった『福島第一プラント』からさほど離れていないことを実感した。車のラジオからは、都はるみの『あんこ椿は恋の花』というやけに力強い歌が流れていた。



 
Posted by Picasa

0 件のコメント:

コメントを投稿