2011/07/02

視えない被災

ボランティアセンターが設置されている名取市民体育館に行くと、朝の7時とまだ時間が早いせいか入り口のドアが閉まっていた。ボランティアの受付開始の8時まで時間があるので、車で朝飯のおにぎりを食べ腹ごしらえをした。7時半にもなるとボランティアらしき人達が、体育館からスコップ、一輪車などのボランティアが使用する道具をきびきびと手際良く外へ持ち出した。後から知ったことだが、彼らは東北福祉大学と尚絅学院大学という地元の大学の学生たちで、実際に被災現場に行って活動をするボランティアではなく、現場でボランティア活動をする人達がスムーズに活動できようサポートするための、スポーツチームにおけるマネージャーのようなサポート役のボランティアだった。

8時を少し過ぎたところで体育館に入った。まずは、初めてボランティアするための登録手続きをしたが、これは事前にボランティア保険に加入していたこともあって簡単に済んだ。次に館内に入ると、まず目に飛び込んできたのは、支援物資が詰まれている大量のダンボールだった。体育館の7割は支援物資のスペースとして使用され、残りの3割がボランティアを運営するためのスペースになっているようだった。また、体育館の壁には芸能人やスポーツ選手からの励ましのメッセージが掲示されていた。私の目にはいろいろ真新しいものばかりだったが、その中でも一番目に付いたのは、ボランティア参加者のなかに欧米人らしき外国人男性が一人いたことだ。どんな素性の人なのだろう、話す機会があればいいなと思った。

ボランティアのオリエンテーションの始まる9時になると、まずラジオ体操から始まった。ラジオ体操をするのは何年ぶりだろう、そんな感傷にも浸ったが、誰一人このラジオ体操をダラダラとやる者はいなかった。これから始まるボランティアがキツイということを暗示しているようにも思えた。オリエンテーションは名取市のボランティアセンターのスタッフによって手際よく進められていく。この名取ボランティアセンターは、ボランティアの活動内容や場所をボランティア参加者がある程度選択できるマッチングという方式をとっており、ボランティアセンターに早く来た者がより、活動内容を選べるようなシステムになっていた。

私は初めてのこともあって、場所はもちろん活動内容もどんなものなのかほとんどわからなかったので、どんな活動でもいいなと思っていたが、せっかくこうしてここまで来たのだから、楽なものよりキツイ仕事をしたいなと思った。結局、家の土砂だし、片付けをボランティア4名で行う活動に決まった。そして、マネージャー役のボランティアが用意しておいてくれたスコップやバケツ、土のう袋等の用具をピックアップし、それを送迎マイクロバスに積み込み、現場に向かった。

バスで5分も走ると景色が一変した。瓦礫で散らかった土地、打ち上げられた船、原型をとどめない家や車、これまでテレビで何度も見てきたはずのものだが、実際に自分の目で見るとその落差が大きかった。地震の揺れだけではここまでの被害はおきない、あきらかに津波による被害をわかるそれは、絶望的な被災の痕を残した。

長いことユーラシア大陸を旅して様々な場所に行ったが、ここまで生々しさの残る被害現場を見たことはなかった。絶望的な風景に声を失う、とにかくそこから始まった。








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