2010/01/19

途中棄権の可能性

遅くなってしまいましたが、明けましておめでとうございます。

本来であれば新年早々、ブログを更新する予定でしたが、ある理由により出来ませんでした。その理由については、これから書くとおりです。

カザフスタンのアルマトイから乗り合いのワゴン車でキルギスの首都ビシュケクへ。窓の外には、これまでにない景色が広がっていた。背後に山をたたえた草原や緩やかな丘が、道に沿うように長く続いている。そこに、山羊や牛の群れがいた。いや、よく見ると馬に乗った猛々しい人間がその群れを統制しているようだ。私はどうやら遊牧民とやらを初めて目にしたらしい。それは、この旅で初めて、シルクロードを通ってるのだな、と実感させるものだった。

ビシュケクのバスターミナルに着き、市内バスで目的の宿に向かった。あらかじめバスの運転手に、ここに着いたら教えてください、とロシア語で伝えておいた。しかし、1時間くらいたっても運転手は何も言ってこない。おかしいと思い運転手に再度たずねると、ごめん、ごめん。降りる乗客との金の勘定を何度かやってたら、伝える事忘れちゃったよ、とジェスチャーで伝えてきた。市内をグルグルまわるはめになり、ここだよ、と言われてバスを降りたときには、乗ってから2時間くらいたっていた。しかも、降ろされたところが全く見当違いのところで、結局そこからタクシーで宿に向かうことになった。

これくらいのアクシデントならこれまで何度となくあった。でも、私はどうやらカザフスタンで軽い風邪をひいていたようで、この市内バスに2時間ゆられたことが相当こたえた。宿について横になると、強い寒気を感じた。悪いことは続き、この夜停電が起き、スチーム暖房が使えなくなった。私は寒さに震えることになり、この日を境に急速に体調が悪化した。

年越しもくそもなかった。日本から持ってきた薬、キルギスで買った薬、どの風邪薬を飲んでも殆ど効果が表れない。何日もベットの上で苦しんだあげく、宿の主人に病院へ連れていってもらった。そこで、問診を受け、さらにエックス線のようなもので調べられ、最終的に点滴を受けることになった。点滴なんてやったのは生まれて初めてだった。

点滴を受け、少しは元気になったが、依然として風邪の症状は治らない。宿の近くの商店に食料の買出しに行きながら、このいかにも旧ソ連的な閉塞感あふれる町を抜け出さなければ、いつまでたっても体調は良くならない、そう思った。

ある日、体調が少し良いので、胃にやさしいものを食べようと、ビシュケクにあるという日本料理店に行った。店内はテーブルも内装も日本の店そのものだった。清潔で新しく、整っている。何よりその料理が、つまり私の食べたそばが美味しかった。値段もリーズナブルで、これまで食べた外国の日本料理でナンバーワンだった。食べ終わった後に、店内に置かれた日本の本を読んでいると、日本のある曲のオーケストラバージョンがスピーカーから流れてきた。その時、不意に涙がでた。

これまでにも何度か危機はあった。病院に行ったこともあったし、病院に行かずとも恐ろしい痛みに苦しむことがあった。でも、その時私が思ったことといえば、こんなことで日本に帰りたくない。帰ってたまるか。という、病気、痛みに強く対抗する気持ちだった。

しかし、今回は違った。日本料理店で涙したときに、こう思った。いや、こう思ってしまった。日本に帰りたい。日本に帰って静養すれば、体は良くなる。私はそう弱気になり、店員に気づかれないよう窓の外を向きながら、日本を、故郷を想い、一人涙した。




美味しかった日本そば。




Posted by Picasa



カザフ美人を見たいという反響に応えて、アルマトイの大学内で撮った写真を公開。(ちょっと遠いですが)
この後、ちゃっかり大学内の食堂で昼食を食べちゃいました。


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